エステの語源「エステル記」

エステの語源「エステル記」

エステル記(メギラー)とは

エステの語源は、旧約聖書にある歴史物語「エステル記」の主人公エステルからきています。

メギラーは巻物のことですが、単にメギラーという場合エステル記のことを言います。

ざっくりと内容をまとめると、ユダヤ人の女性が美しさを武器に一国の王に取り入り、

ユダヤ人虐殺の危機から救うという物語です。

 

登場人物

エステル:ユダヤ人の娘。両親はおらずモルデカイに育てられる。

ペルシャ国王クセルクセスの妃になる。

クセルクセス:ペルシャ国王

ワシュティ:クセルクセスの元王妃。

モルデカイ:ユダヤ人でシュシャン城の門番。エステルの叔父で育ての親。

ハマン:ペルシャ国宰相。モルデカイの態度に怒りユダヤ人すべてを虐殺しようとする。

 

エステの語源

クセルクセス王は国の富・栄誉を誇示するため180日間の宴会を行い、

その後シュシャン城で働く者たちのために7日間の宴会を行いました。

王妃であるワシュティも女のための宴会を行いました。

7日間の宴会の最後に、王は王妃の美しさを民に見せるため王冠を被り

自分の元へ来るよう家臣に命じましたが、王妃はこれを拒否します。

王は王妃に怒り、この怒りをどうするべきかと法に明るい者に相談しました。

すると、「王妃の行いは女が男を軽んじる悪い影響を及ぼしかねません。

王妃の位を剥奪し、他の婦人に与えるのがよい。

その戒めによって女たちは自分の夫を尊重するでしょう。」とのこと。

王はこの意見に賛同し、新しい王妃を探しはじめます。

彼の統治する127州すべてから美しい娘をシュシャン城の婦人部屋に集めさせました。

その王妃候補のひとりであったのがエステルです。

両親がいなかったエステルの育ての親である叔父のモルデカイは、エルサレムから

連れてこられた捕囚民であり、シュシャン城の門番でした。

エステルも多くの娘たちと婦人部屋に集められていましたが、その美しさが

家臣ヘガイの目に留まり、最も上等な部屋に移されます。

ヘガイは食事や化粧品の調達の他に、王宮から7人の侍女を呼び身の回りの

世話までさせました。

エステルは自分がユダヤ人であると言ってはいけないとモルデカイに言われていたので

出身は明かしませんでした。

モルデカイはエステルの安否を気にして毎日婦人部屋の前を歩き回りました。

選ばれた美しい娘たちは、王に呼ばれるまでに投薬の薬で6カ月、

次に特別な香水と香油で6カ月美しさに磨きをかけます。

それが終わると、自らをより美しく装うため、

豪華な衣装や宝石など望み通りのものが与えられます。

そして夕方に王の寝室へ行き、その翌朝からは婦人部屋ではなく別の後宮に移されました。

彼女たちは、特別に王から気に入られ指名されない限り二度と王に会うことはできません。

エステルが王に召される日。

ヘガイが用意した衣装を身に纏ったエステルは誰もが息をのむほどに美しく、

誰よりも王に気に入られました。

こうして、王はエステルの頭に王冠をいただかせ王妃としたのです。

 

 

このエステルが受けた1年間のケアこそが、当時最高峰のエステでしょう。

「エステティック」の語源はエステルであると言われています。

ちなみに後宮は大奥のようなものです。

ここで切ればシンデレラストーリーで終了なのですが、

エステルにはユダヤ人を救う大義が残されています。

エステの語源についてはこれで終わりですが、

エステルがどのようにして救国者となったのか気になる方は続きもどうぞ。

 

 

モルデカイの活躍と危機

王妃となったエステルのための大宴会も開かれましたが、

エステルはモルデカイの教え通りユダヤ人であることを明かしませんでした。

その頃、モルデカイが門番として城の入口を守っていると、家臣2人が王の殺害の計画を

立てているのを聞いてしまいます。

彼はこれをエステルに伝えると、彼女はモルデカイの名前を出して王に告げました。

家臣2人を追求したところ相違ないことが分かり、2人は絞首刑となりました。

このことは王の年代記として記録された大きな事件でした。

このような事があった頃、王はハマンという人物を宰相に昇進させました。

王は家臣皆にハマンにひれ伏すよう命じましたが、モルデカイだけはひざまずかず、

敬礼もしませんでした。

ユダヤ人である彼には、主である神以外のものに、神の権威もないものにひれ伏すことは

王の命であってもできませんでした。

モルデカイ以外の家臣は、彼に命令に従うようにと忠告しましたが

聞き入れませんでしたので、気分を悪くした家臣たちは、彼の不遜を訴えるとともに

彼がユダヤ人であることをハマンに告げました。

モルデカイは、すでに自分がユダヤ人であることを家臣らに語っていたのです。

モルデカイの態度に気づいたハマンの怒りはすさまじく、彼を殺すだけではなく

国中のユダヤ人すべてを滅ぼすことを決めました。

ユダヤ人を滅ぼす日を決めるため、ハマンは「プル(くじ)」を投げました。

実行の日は12カ月度の3月に決まります。

ハマンは王に「ある民族は王の法律を守らず、彼らを生かしておくことは

王のためになりません。王がよしとするのであれば、滅ぼせと文書をいただけませんか。

そうすれば私はその仕事をした者たちに銀1万タラントを量り渡し、王の金庫に

納めましょう。」

(※銀1万タラントは全滅させたユダヤ人から奪う財のことです。

ユダヤ人は商売上手です。)と言いました。

王は指輪を外し、ユダヤ人の敵であるハマンに渡しこう言いました。

「その銀の指輪はそなたに与える。その民もまたそなたに与える。好きにするがよい。」

全国に届いた王の指輪で判を押した文書には、3月13日の1日のうちに老若男女問わず

ユダヤを殲滅し、その財宝を持ち帰れと記されていました。

 

 

エステルの決心

モルデカイはこのことを知ったとき、衣服を引き裂き荒布を纏って灰を被り、

街中で激しく叫びました。彼だけでなく、全国のユダヤ人は同じようなことをしました。

(※ユダヤ人はこういった行動で悲しみを表現します。)

エステルの侍女がこのことを彼女に報告したので、彼女はモルデカイに着物を送りましたが

彼はエステルの送った服を着ませんでした。

その行為が何のためのものなのか、家臣を遣わせてモルデカイに何があったのかを

聞いてくるよう頼みました。

彼女はずっと王宮のなかにいたのでユダヤ人殲滅の法令を知らなかったのです。

モルデカイは、ユダヤ人殲滅の文書と「王に哀れみを請うてくれ」という言葉を

家臣を通じてエステルに伝えました。

エステルは「王の命令以外で王に会いに行く者は死刑にされます。

王が金の笏を伸べれば許されますが、私はこの30日間王に呼ばれてすらいないのです。」

と家臣を通じて言いました。

モルデカイは「王宮にいるから自分は難を逃れると思ってはならない。

おまえが動かなくとも必ずユダヤの助けは来る。

だが、おまえとおまえの家は滅びるだろう。

おまえが王妃となったのはこの時のためだったのだ。」と家臣を通じて言いました。

エステルは決心しました。「シュシャンにいるユダヤ人を集めて3日間断食をしてください。私も侍女とともに断食します。法律に背くことですが王のもとへ行きます。

私が死なねばならないのであれば、死にましょう。」

モルデカイはエステルの指示通り動きました。

断食が終わる3日目に、王妃の衣装に身を包んだエステルは王宮に入り内庭にある

玉座の前に立ちました。

王は王妃に金の笏を伸ばし、エステルは笏の先に触れました。

「何か欲しいものがあるのか?おまえが望むなら国の半分でも授けよう。」

エステルが「王がよろしければ、本日私が王のために設けた宴会にハマンとともに

お越し下さい。そのときに私の願いをお話したく存じます。」と言うと、王は承諾しました。

 

 

ハマンの処刑

ハマンは自分だけが王と王妃の宴会に呼ばれたことに有頂天になり、

妻や友人たちに自慢しました。

しかし、「モルデカイが自分を見ても身動きもせずひれ伏さないのを見ているうちは、

このような素晴らしい出来事も心を晴れやかにすることは出来ない。」

とこぼすと、妻や友人たちは、「高さ20メートルの柱を立てて、明日の朝そこに

モルデカイを吊るすよう王に申し上げたら?そうして王と楽しんでいらっしゃい。」

と案を出すと、ハマンはその案を気に入り、自宅の前に首吊り用の柱を立て始めました。

宴会の前夜、眠れなかった王は記録の書である年代記を眺めていました。

年代記にモルデカイが家臣2人の王殺害の企てを告げたことを記されているのを見つけ、

モルデカイに何の栄誉も爵位も与えていないのに気が付きました。

そのとき、柱にモルデカイを吊る許可を取りに来ていたハマンが庭にいることに気づき、

ハマンを通して聞きました。

「王が栄誉を与えようと思う人物には何をしたらよいだろうか。」

ハマンは栄誉を与えられるのは自分だと考えたので、「王の着られた衣服を着せ、

王の乗られた馬に乗せ、街中を凱旋しながら『王の栄誉を与えられた者だ』

と呼ばわらせるのです。」と答えました。

王は「ではモルデカイにその通りにするように。ひとつも欠かず行うのだぞ。」

とハマンに告げたので、ハマンはその通りにしました。

その後、屈辱を味わったハマンが家に帰り、妻や友人たちにその出来事を話すと、

彼女ら知者はこう言いました。「もしモルデカイがユダヤの子孫であるならば、

あなたは彼に勝つことはできない。彼に必ず敗れるでしょう。」

話している最中に王の家臣がやってきてハマンをエステルの宴会に連れていきました。

王とハマンはエステルの宴会で酒を酌み交わしました。

王は「エステルよ、宴会の場で欲しいものを教えると言ったな。何が欲しい?

おまえの望みならば国の半分でも与えよう。」と聞きました。

エステルは「許されるならば、私に私の命を与え、私の民族を私に与えてください。

私と私の民族は売られ滅ぼされ絶やされようとしています。奴隷として売られるだけならば

黙っています。ですが、王の損失となれば黙ってはいられません。」

王は激怒し言いました。「そのような者は誰か、どこにいるのか。」

エステルは言いました。「それはこの悪いハマンです!」

ハマンは恐れおののき、怒って立ち去った王を追わず、エステルに命乞いをしました。

王が自分を罰することが分かったからです。

怒りを覚ますため外気に触れた王が戻ってくると、エステルのいる長椅子にハマンが

ひれ伏しているのがエステルに襲い掛かっているように見え、「私の前で、

この家の中で王妃に乱暴しようとしているのか」と言うとハマンは顔を覆いました。

(※王が死刑にされる者の顔を見なくて済むよう顔を隠したのです。)

家臣の1人が「モルデカイを吊るすための柱がハマンの家に立っています。」と告げると、

王は「ハマンをそれにかけよ。」と命じ、ハマンは自らが準備した柱で首吊り姿となり

王の怒りは収まりました。

エステルはハマンの家を与えられました。

エステルがモルデカイが育ての親であることを王に打ち明けると、

モルデカイは王に呼ばれました。

王はハマンから取り返した指輪をモルデカイに与え、エステルはモルデカイにハマンの家を

管理するよう命じました。

エステルは再び王へ涙ながらにユダヤ人虐殺の法令を取り消す書を出すことを請いました。

モルデカイに王の名をもって指輪の印を押した手紙を送ることを許しました。

その文書では、ユダヤ人が自らを守るため団結し、ユダヤ人を滅ぼそうと武装した民を

妻子もろとも滅ぼし、財を奪うことを許されていました。

このことは、ユダヤ虐殺の3月13日と同じ日に行うこととされていました。

この文書が届いたいずれの町でもユダヤ人は喜び宴会を開き、この日を祝日としました。

そしてこの日以降ユダヤ人は恐れられるようになり、国の多くの者がユダヤ人となりました。

 

 

プリムの日

モルデカイは宰相となり、立派なマントと冠を与えられてユダヤ人の栄誉となりました。

名声は全国に広がり、勢力を伸ばしていきます。

3月13日には、ユダヤ人はハマンの子10人を殺し、首都スサで500人を殺しました。

王は、エステルにこれを伝えると更に願いはないか聞きました。

「明日も今日と同じお行いを許してください。そしてハマンの子を木に吊るしてください。」その願いは聞き届けられ、ハマンの子は木に吊るされ、14日にはスサで300人を殺しました。しかし、財を奪うことはしませんでした。

首都以外の州では13日にのみ同様に、ユダヤ人は75,000人を殺しました。

誰も財を奪うことはしませんでした。

悲しみが喜びに変わった翌日の15日を首都では祝宴の日とし、

諸州では14日を祝宴の日としました。

モルデカイは全国に「3月14日と15日を祝宴の日とする」と正式に定めました。

この日には、互いに食べ物を贈り、貧しい者に施しをする日とすることとなりました。

ハマンがプル(くじ)を投げてユダヤ人の滅亡を決めたが覆したことから、プルにちなんで、祝宴の両日を「プリム」と名付けました。

 

 

モルデカイのその後

モルデカイはクセルクセス王1世に次ぐ権力を持つ者となり、

ユダヤの偉人である彼はユダヤ人すべての幸福を求め、すべての国民に平和を語りました。

クセルクセス王の権力と勢力によるすべての事業、モルデカイの偉大さはペルシャ王の

年代記に記されています。

 

 

あとがき

ところどころ端折ったり解釈が分かれる部分もありますがこんな物語です。

聖書なので突っ込んだりはしませんが、なかなか衝撃的な物語ですよね。

ひとつだけ突っ込むとしたら、30日間以上も放置してたのに国の半分を与える(魔王)ほど

エステルのこと好きだったの!?ってことです。

普段何気なく使っている言葉の語源を調べてみると思いもよらない意味や物語があって面白いですよ。